多細胞システムの動作原理に関する研究

横山 淳

生命の基本要素である細胞は, 無秩序に向かう自然界の流れに逆らい, 自律的に集合体を構築する. この組織形成と呼ばれる現象は, 生物が獲得した優れた集団戦略の根底を成しており, 生命科学の主な研究対象の一つである. 組織形成に関する理論研究として, 細胞動力学理論が細胞性粘菌の凝集機構を解明し, 一定の成果を収めている. この細胞動力学理論を多細胞生物の凝集システムに応用し, ヒトを含む哺乳類の組織形成機構を解明することが我々の長期的な目標の一つである. この目標に向けて行った研究を以下の構成で紹介する.
第一章で紹介する新しい確率的個体基本モデルは, 組織形成に関する巨視的な理論である反応拡散理論と, 上述した微視的な理論である細胞動力学理論との一貫性を明確にするメゾスコピックな理論である. 本理論は反応拡散理論の拡散項との対応を維持しつつ, 細胞動力学理論の様に細胞一つ一つを扱うことが可能である. 本研究ではモデル化と検証が容易なpredator-preyシステムを採用し, 理論の妥当性を確認している.
第二章で述べる相互結合した振動子群を外部制御する理論は, 従来から用いられる線形結合同期法に代わりレセプター同期法を導入し, より効率的に相互同期と外部同期を達成する. この理論により, 組織形成に深く関与する細胞間相互作用と組織間相互作用を矛盾無く取り入れることが可能となる. この理論はクロック遅延を解消する分散PLL(位相同期回路)法や耐故障性の高いLSI設計などの工学的応用にも期待できる.
第三章で論じる細胞モデルは, 従来のモデルでは考慮されていなかった解糖系を介した複数のミトコンドリアの分散処理系が導入されている. 本モデルは未だ多くの問題を抱えているが, 複数のミトコンドリアから構築される分散処理系が細胞の恒常性を維持することを計算機実験から実証した. また, 解糖系やミトコンドリアなどのエネルギー生産系の詳細なモデルは, 細胞間相互作用に影響を受ける細胞内部の状態をより正確にモデル化することを可能にする.
これらの研究は多細胞生物の組織形成機構解明へのマルチなスケールでのアプローチである. 本研究結果が, 組織形成機構を含む多細胞システムの動作原理を解明する為の重要なステップとなることを期待する.